2025年4月から2026年3月にかけて「精神分析におけるセックスとジェンダーを学ぶ会2025」が行われました。2025年度はガリト・アトラスの『欲望の謎』と、それに関連する論文 ‘too muchness’ of excitement: Sexuality in light of excess, attachment and affect regulation.を読みました。6月には北村婦美先生に講義を行っていただきました。参加者は私含めて9名でした。
『欲望の謎』は精神分析の専門書として実験的な形式で書かれています。それは、本書で「事例」という言葉が使われず、かわりに「治療的なお話(therapeutic tale)」という言葉が使われていることに表れています。
「事例」という言葉には客観的な観察が想定されていますが、結局のところ治療者は自分の心を通してしか患者・クライエントを理解することができません。にもかかわらず、まるですべてを知っているかのように「事例」を記述することに対する、ガリトの抵抗なのでしょう。
一方で「治療的なお話」が完全に治療者の主観、虚構であると言うつもりもないようです。面接室での治療者の経験は、常に患者・クライエントと共創造されたものだとガリトは考えています。
本書に描かれている「治療的なお話」は主観的なものであり、間主観的なものでもあるということなのです。
面接の設定や患者・クライエントの臨床的な情報が十分には書かれていないため、登場人物のアセスメントを行ったり、介入の是非を考える題材としては向いていないかもしれません。
しかし、そのように描かれたお話は、読者である私たちにさまざまな感情や連想を呼び起こしました。それらは理論的・論理的ではないことも多く、専門書というより小説や詩を読んでいるような感覚でした。
性的に過剰な刺激が幼い心にをいかに圧倒するかということ。歴史的なトラウマが「幽霊」として世代を超えて残っていくということ。シスターフッドのあり方。妊娠は当人にとって実に様々な空想をもたらすということ。
ディスカッションの中で私たちは臨床で出会ったたくさんの人々を思い出し、時に自分自身の体験とも照らし合わせて想いを巡らせました。個人的な思い入れの強い分野であるため、参加者同士がぶつかりあう場面もありました。しかし、それぞれの参加者にとって、自分とは全く違う体験や思想に開かれ、自分を振り返る機会となったのではないかと考えています。


