精神分析におけるセックスとジェンダーを学ぶ会2022年第9回

2022年1月21日に「精神分析におけるセックスとジェンダーを学ぶ会2022」第9回を行いました。今回はDowney,J. & Friedman,R.による同性愛に関する論文を取り上げました。Downey,J. & Friedman,R. (2008) Homosexuality : Psychotherapeutic Issues. British Journal of Psychotherapy. 24(4):429-468

本論文を読んで最初に抱いた感想は、(どんな人に対してもそうなのかもしれませんが)特にマイノリティの人々への精神分析的心理療法は技法の修正が必要なのではないか、ということでした。

精神分析のセオリーであるブランクスクリーン・隠れ身でいることによって、セラピストはクライエントから、マジョリティとして自動的にみなされることが起こりえます。同性愛の人の場合、セラピストから偏見のまなざしを感じ取り、異性愛者に変わることを求められているように感じてしまうといったことが生じてしまいます。それを乗り越えることが精神分析なのかもしれませんが、このようなことはクライエントが日常的に受けてきた差別そのものであり、それを空想として扱うことは、セラピストにそのつもりがなくとも、面接室内にセカンドレイプ的現象を引き起こすことになるかもしれません。実際、精神分析がコンバージョンセラピーに与えた影響は大きいと言えます。

同性愛の人に精神分析や精神分析的心理療法が適応ではないと言いたいのではありません。人と人との心の交流の中で無意識を探究することが精神分析の本質だと思いますが、さまざまな歴史性や社会情勢の中で、本質に至るために必然性があれば新しい技法を模索していくことも必要だと思うのです。そもそも精神分析はオーダーメイドなものであり、ひとつとして同じものはないのですから、こんなことを言うこと自体ナンセンスなのかもしれません。

また、「ホモフォビア」と呼ばれる同性愛者に対する偏見的な態度がありますが、なぜそのような現象が起こるのかということも議論されました。結論としては投影同一化が起きているのだろうということでした。

つまり、自分の心の中にも内在しているけれど、切り捨てたり、ないものとしたりしてきた、これまでの人生において都合の悪い部分を、同性愛の人々の中に見出してしまい、攻撃して排除する姿勢が取られているのでしょう。

なお、「ホモフォビア」という用語は、厳密にいうと正しくないと筆者は述べています。なぜなら反同性愛の態度をとる人は、恐怖症(=フォビア)というより妄想的と言うべきだからだということでした。たしかに恐怖症と言うには攻撃的なので違和感を覚える用語でした。