精神分析におけるセックスとジェンダーを学ぶ会2022年第7回

2022年11月19日に「精神分析におけるセックスとジェンダーを学ぶ会2022」第7回を行いました。今回はブリトンの「父親の娘コンプレックス」を取り上げました。

Britton,R. (2003) Sex, Death, and Superego: Experiences in Psychoanalysis. Karnac Books. 豊原利樹訳 2012 『性、死、超自我―精神分析における経験』誠信書房

「父親の、娘コンプレックス」ではありません。「父親の娘、コンプレックス」です。これは、ある女性たちが父親と持つ、彼女たちの発達に不利益な、特別な種類の関係のことを指します。彼女たちは乳幼児期に母親との関係に由来する問題を抱えており、それを父親との理想化された関係で代償的に補おうとします。その意味ではヒステリーに似ていますが、男根への同一化による普通の女性であることに対する否認、マゾヒズム的な自己軽視による女性であることに対する侮蔑などが特徴的です。

例えばこんな女性像ではないでしょうか。権威的な年配の男性を理想化し、その思想を体現し、自分自身の考えは押し出さずに、権威にかわいがられようとする女性。しばしば自分は普通の女性たちとは違うのだと、自己愛的な認識を持っています。

2021年2月に東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長を務めていた森喜朗氏が「わきまえ」発言を放ったことが話題となりました。立場をわきまえ、余計なことは話さない女性はありがたいので、そういう女性を選ぶということです。ここで喜んで選ばれる女性がいるとしたら、その心理には「父親の娘」コンプレックスがひそんでいるのでしょう。

ただし、「父親の娘」の例としてよく挙げられるアンナ・フロイトは、成人の精神分析については父親であるフロイトの思想から外れることがありませんでしたが、児童分析については独自の考えを確立し、現在のイギリスの法律や制度にも影響を与えるほどに発展しました。「父親の娘コンプレックス」が強くても、部分的には権威から自由な領域を持つことはできます。

また「父親の娘」は女性蔑視が特徴ですが、自らが女であることに傷ついている人でもあります。母親との良い関係を持つことができず、母親を侮蔑し、父親の元に走るしかなかった人ではないかと思われます。「父親の娘コンプレックス」を持つクライエントのセラピーでは、母親転移が重要な鍵になるのではないでしょうか。

ちなみに文献中に「父親の娘コンプレックス」という言葉は一度も出てきませんでした。代わりに「アテナ・アンティゴネ・コンプレックス」と記されています。「父親の娘コンプレックス」という言葉はユング派の概念なのでしょうか。