精神分析におけるセックスとジェンダーを学ぶ会2022年第4回

2022年7月16日に「精神分析におけるセックスとジェンダーを学ぶ会2022」第4回を行いました。今回はジョアン・リビエールの「仮装としての女性性」を取り上げました。Joan Riviere(1929)Womanliness as a Masquerade. International Journal of Psycho-Analysis, 10:303-313.

学問やビジネスの世界に生きる知的な女性たちの中に、献身的な妻・母親、誘惑的な女を演じる人々が一定数います。彼女たちにとって、女性性とは何なのでしょうか。

リビエールは、知的な女性たちのこのようなふるまいを、男性から罰せられる不安を回避するためのマスク(仮装)であり、サディズムを基盤にしていると論じました。たしかに家父長的な世界では、秀でることでトップの人間(リビエールの時代も、現代も男性であることが多いです)から睨まれるリスクがあります。本論文は1929年に書かれたものであるにもかかわらず、現代女性にも通じる、一読の価値のあるものでした。

ディスカッションでは、本論文に描かれるようなサディズムの強い事例は、周囲の男性・女性より優れた存在でいようとする、自己愛的で空虚な女性で、救いがないように感じられるという意見が出ました。たしかにそのように感じられる女性はいるかもしれません。

ただ、防衛機制というものはそもそも、つらい現実の中でなんとか心の平穏を保つための、大切な心の仕組みです。行き過ぎると毒になりますが、適度に使うぶんには、むしろ社会適応を高めるのではないでしょうか。

女性性という防衛を使用するにしても、さまざまな水準があると思います。サディスティックでナルシスティックに使用する人もいれば、権威主義的な世界で身を守るためにいたしかたなく身につけている人もいるでしょう。本論文ではそれらを乱暴にまとめすぎているように思えました。

また、女性的なマスクという防衛は、女性に限らず、あらゆる権力勾配で生じるものであるため、女性性の論文としては本質的ではないという指摘もありました。性別に限らず、権力者から攻撃されるのを防ぐために献身的、蠱惑的ふるまいをする人はいます。

はたして女性性の本質とは、本論文で描かれるように献身的ふるまいや誘惑的ふるまいで男性から承認されることなのでしょうか。防衛や、家父長制の世の中での現象としてはありうると思われますが、本質とは言えないかもしれません。女性性とは何かというテーマは、これからも研究されていく重要な問いなのでしょう。

本論文を読むにあたり、松本卓也先生の試訳を使用させていただきました。クリエイティブ・コモンズとして扱ってよいとの御許可をくださいましたこと、感謝申し上げます。